
2022-2023年度
東京多摩ロータリークラブ
会長 石塚 悦信
2022-2023年度
東京多摩ロータリークラブ
幹事 関戸 達哉
幹事就任にあたり
Nur wer die Sehnsucht kennt (ただ憧れを知る者のみ)その2 今日、我が多摩ロータリークラブが危機的な状況に瀕していることは申し上げるまでもありません。会員の減少、財政難、等々これらの問題についてここ数年いくつかの方策が採られてきました。しかし、残念ながら功を奏したといえる結果はでておりません。そこで、この度の幹事就任に当たり、私のロータリークラブのありかたに対する考えを、少しく述べさせていただきたいと思います。 ロータリークラブではよく『原点に帰れ』ということが言われます。ここで言われる「ロータリーの原点」とはちょっと意味が違いますが、私の「ロータリーの原点」は昭和40年代初頭、私がまだ小学生の頃、父に連れられ家族で行った八王子ロータリークラブのクリスマス会です。いつもは近寄りがたい父や、八王子のいわゆる名士と言われているおじさんたちがとてもカッコ良く見え、幼心にも「自分も大きくなったらロータリークラブに入りたい」と思ったものでした。 ロータリークラブは少し前まで、世間から『金持ちの昼食会』と揶揄されることがよくあったようです。しかし、私はその言葉の中に世間の人たちのいくらかの「羨望」や「憧れ」も含まれていたのではないかと思います。ところが、最近ではそう言われることも少なくなったのではないでしょうか。それは、本来のロータリー精神が社会に広く理解されてきたからなのでしょうか。私はそうは思いません。ひとつには世の中全体が豊かになり、昔ではなかなか行くことのできなかった、ロータリークラブが会場とするようなホテルやレストランに、誰でも行けるようになったことが挙げられるでしょう。しかしそれにも増して、ロータリークラブ内に大きな変化があったことが主たる理由ではないでしょうか。それは、「一業種一人」や「区域限界(テリトリー)」といったロータリーの根幹をなしてきた特徴の緩和に代表される、無意味とも思える「増強」施策が、ロータリアンの質的低下を生んだからだと思われます(同じクラブのロータリアン数名での少女買春事件などは耳に新しいところです)。さらに、過度の「増強」、「拡大」志向は近隣クラブとの良い意味での「競い合い」を「共食い」へと変化させ、いくつものクラブから度々会員に推挙される候補者は、そのようなロータリークラブに対し、「羨望」や「憧れ」よりはむしろ「戸惑い」や「違和感」、時には「軽蔑」さえも感じているのではないでしょうか。もはやロータリークラブは会員を選ぶクラブから、お願いして入って頂くクラブになり、世間の人々からの「羨望」や、「憧れ」の対象ではなくなってしまっているのです。これではロータリークラブに入りたいと思う方が少なくなるのは自明の理です。 誰もが「いつかは行ってみたい国」、「食べに行きたいレストラン」、「乗ってみたい車」といった憧れを持って生き、それが仕事や社会活動の励みになっていることに異論はありますまい。ロータリークラブが、多くの人々の憧れに値するクラブ足りうることは、ロータリアンは誰しも実感、或いはおぼろげながらにでも感じているはずです。今こそロータリークラブを多くの人々の「憧れ」の対象に、そして「いつかは入りたいクラブ」に戻そうではありませんか。 この1年間、ともに『憧れられるロータリークラブ』を模索いたしましょう。そして、多摩ロータリークラブの活性化に衷心よりご協力をお願いし、幹事就任の挨拶に代えさせていただきます。 「ただ憧れを知る者のみ わが悲しみを知る」 ゲーテ ロータリークラブ発足101年目の初夏に上の就任挨拶の文は今から17年前、故 藤井達磨会長の年度(2005-06)に私が幹事を仰せ付かったときのものです。今年度石塚会長の下、再度幹事を務めることとなり、就任挨拶文の参考にと前回のものを引っ張り出して読んでみると、現在のクラブの状態は当時と変わらないどころか、瀕死と言っても差し支えない有様です。 会員数も当時の33名から衛星クラブ発足年(2014-15)の38名(本クラブ20名+衛星クラブ18名)を最高に漸減し、今年度は半分以下の16名からのスタートとなります。同じ多摩東グループで、我がクラブに次ぐ歴史を誇っていた狛江ロータリークラブは、昨年度末をもって解散いたしました。解散となれば、多摩市中学生弁論大会や、多摩市中学生俳句大会、ハイチ共和国シグノ病院に対する支援などの、我がクラブが50余年に亘り地域や世界に行ってきた輝かしい奉仕活動の記録も霧散してしまいます。決してそのようなことにならないよう、いろいろなシミュレーションを行いながら、今年度の、そして今後の多摩ロータリークラブの在り方を石塚会長と共に考えようではありませんか。もう時間はありません。
会長テーマ「Think Globally Act Rotary !」
普通に生活を送るということがどれだけ尊い事なのか、コロナ禍で苦しむ人々や戦禍を逃げ惑う家族の様子から考えさせられます。ロータリーで学び、実行すべきことはたくさんありますが、目指すところは「平和」で、「世界の人々が、普通に暮らせる事」だと思います。私は戦後生まれで、平和ボケし、戦争はこれまで身近に感じることはありませんでした。しかし社会情勢を見ると、決して明るい未来を想像できる世の中ではありあせん。戦争による悪影響は当事国だけではなく、自然破壊や難民の流出、発展途上国の食料の不足、世界的な物価高に結びついていますね。このような状況でどうやって「世界は一つになればよいのか?」答えはどこにあるのでしょうか。そこに、SDG‘sやDEIといった流行り考え方があるのでしょう。「多様性を受け入れよう」と今やどこでも耳にします。相手を理解するには、他者を受け入れる寛容な姿勢が必要なのでしょう。 さて、このような激動な時代に我々には何ができるでしょうか? 奉仕を求める声は、いたるところにあり、その数はますます増えていく事でしょう。私たちの活動には需要があり、そこに我々の存在意義があります。ただ、崇高な人間の集団ではありません。少なくとも私は違います。はじめから「超我の奉仕」ができる人間ではありません。ロータリーで重要なキーワードは奉仕以外にもう一つ、「親睦」です。つまりは例会で週に一度集まることです。 週に一度集まることが奉仕につながるのか?一般的にはそう思う人多いでしょう。しかし、メンバーにもそう思っている方はいませんか?我々は奉仕の理想に集う集団です。集まり話し合うと、いろいろな知恵が生まれます。そして社会へ目を向け、行動を起こします。不思議とその中で自分たちの仕事のヒントになることが多く、それを持ち帰ることで自分と仕事への成長につながり、社会に良い循環を生むのです。協力者は一人でも多い方がよいはずです。我々には、多様性と公平性、いつでも人を歓迎する事を毎回、「4つのテスト」で 確認しています。流行りの標語ができる以前から、ロータリーは100年以上かけて社会の好循環の為、社会へ働き掛けています。バッチと共に誇りを持ちましょう。 パンデミックで我々は一度ばらばらになりました。集まれても画面越し、パネル越し、マスク姿でした。会員の皆さん、もう一度集まりましょう! 私は、クラブの会長として、時代に求められた多様性や公平性を持って、地域に開かれ誰もが歓迎されるクラブになるよう努めます。その為にも皆さんが今動き始める時です。思い悩む時は過ぎました。行動しましょう!